物語を紡ぐ
2009年9月28日、西日本新聞、「潮流」というコラムで哲学者内山節さんは、今回の衆議院選挙の自民党敗北を、「この2,30年の間に、日本の人々の考え方や行動が少しずつ変化して来た」からだ、として、二つの変化に焦点を当てています。
まず、「環境問題への関心の高まり」で、「経済の力は必要かもしれないが、それだけでは社会の持続は保障できないし、私たちも幸せになれないのではないかという思いが、少しずつ広がっていった。」
次は、「孤立した個人の社会から協力し合う社会への、私たちの社会目標が変わってきたこと。」
この2つが、今回の選挙結果を生み出したと。
「経済発展、グローバリズムといった『大きな“物語”』に翻弄される生き方を、人々は修正し始めていた。自然との関係や人間同士の関係から生まれる『小さな“物語”』を大事にしながら、しかし小さな世界に閉じこもるのではなく、自分が結び合っている世界を通して大きな世界をもとらえていくという、新しい知の作法が生まれ始めていた。」
内山さんは「大きな“物語”」に対して「小さな“物語”」に焦点を当てています。
2009年7月7日、西日本新聞、九州大学准教授 施光恒さんの「村上春樹『1Q84』を読む『“物語”る力』回復する試み」でも、“物語”が語られます。
「人は皆、世界は国の成り立ちや自分自身を理解するときに、半ば無意識に“物語”という形式を用いる。
世界や国の歴史という大きな“物語”の中に、自分の来歴を重ね、人生を小さいながらも一つの整合性を持った“物語”にしようと努める。
また人と人との強い絆をつくるのも“物語”である。“物語”の多くの人々による共有――歴史的記憶の共有――が社会や国家をつくる。
個人的な“物語”の重ね合わせが、人と人との親密な関係をもたらす。」
そして、村上春樹の「1Q84」に入っていき、「村上は、“物語”作りの原初的形態を描き出し、現代人の“物語”る能力の回復を図ろうとしている。
繰り返し登場する『リトル・ピープル』は、人々に“物語”作りを促す太古から存在する自然的力の象徴だと理解できる。
(中略)自己の内面と他者の存在に向き合い、真摯に、丁寧に、ささやかながらも各自が“物語”の糸を紡いでいくこと。
『リトルピープル』は善でも悪でもあり得るとされているように、“物語”を紡ぐ営みがうまくいくとは限らない。
しかし現代人にとっても、自己を確立し、他者との繋がりを回復していくためには、そうした原初的方法しかない。」
戦前の大政翼賛会。戦後の大衆文化。マイケルジャクソンに象徴されるスーパー・スター。
ジョージ・オーエルが妄想したビッグブラザーの1984年頃までは、確かに、大きな“物語”が支配していました。
そのころ出されたアルビン・トフラーが予言した情報化の波「第三の波」。
90年代は、本格的IT革命の伸展、インターネット環境の整備が図られました。
21世紀に入り、ブログ、さらに、トウィッターと私たちは、自分で多様な情報にアクセスし、自分で世界に“物語”れる時代に入っていきました。
施先生は「人類は、太古には呪術という形式で、またもう少し後にはシャーマン(巫女)を介して、“物語”を作り、世界や自分を理解しようと努めてきた。」と言っています。
河童も日本人が太古からの小さな“物語”として、つくりだしてきたのでしょうか?
カッパ塾(九州政治哲学塾)では、これからの政治哲学づくりのため、私たちの「言葉採取」を始めています。
さらに、それを一歩進めて「“物語”として紡ぐ」という、新たな目標を気づかせていただきました。
「人と人との強い絆をつくるのも“物語”である。
“物語”の多くの人々による共有が社会や国家をつくる。
個人的な物語の重ね合わせが、人と人との親密な関係をもたらす。」