「椿水会」と「κ(塾」
「椿水会」ができました。
「女性の目で捉えた現状とこれからを語る会」で、これからいろいろなテーマで会が開かれます。
11月に第一回目の会合を予定していますのでぜひご参加ください。
「
κ(塾」をつくる準備をしています。
英語表記ではKAPPA(Kyushu Academy of Philosophical and Political Affairs)と考えており、「哲学・政治九州塾」というモノです。大学の恩師上田篤先生の発意によるもので、何人かの仲間とその準備会合を開いたところです。上田先生にも参加していただくつもりです。
どちらの活動もこれから、「水げん通信」でお知らせすることがあると思います。
今回は「κ塾」前段として、“心地よい時間”について考えたブログを紹介します。
「時間の比較社会学」真木悠介を読みました。
“時間”に関する私のバイブルのひとつになると思います。
「現在の生をそれじたいとして愛する実感(生きられる共時性)」、「未来がある具体性のうちに完結する」この二つを持つことで生きている時間が“心地よい”ものになる。
“ここちよい時間”の実現のため、ライフスタイルと哲学を変えなければならない。
そのためのポイントは、
1)お金と時間の“心”への影響を限りなく小さくする。
2)「時計を従とする」自分の時間感覚による生活。
3)「心ある道」と「共時性」を求めること。
NHK「クローズアップ現代」で、お話をただ聞いてあげるボランティアが増えているという、とても興味深い内容があった。
真木悠介さんの「共時」という言葉をまた考えた。
「時間」の過ごし方に関する次のようなことが湧いてきた;
目的を持って“時間”に入り、入ったとたん我を忘れて、夢中で時間に浸る。
心ある時間を過ごし、「心地よい時間」だったと後で思う時間を生き、ハッと我に返ったとき、その時間が終わったことに気づく。
時間を気にして終わる、時間を正確に終わらせるテレビ番組のまるで人ごとのような時間の流れではなく、自分の心で時間を計る。
時計を気にした瞬間、夢中さが消え、“心”がその時間から離れ、我に戻る。
そのとき一つの時間が終わる。
我に戻ったらまた、生きる時間の目的を少し考え、少し準備して、再び、“時間”の中へ入っていく。
そしてまた、我を忘れて・・・。
これを繰り返す。こうなると「心ある時間」を今よりは少し長く生き抜けるのでは。
まず、やってみよう、実行だ!キーワードは「忘我」なんて言葉かな?アッという間に「我忘」、かな。