「考える政治家」「議員村に安住しない政治家」
首相問責、参院初可決。何で今頃?という私の疑問に、西日本新聞社説(6月12日)は答えている。
「提出時期には異論があろう。
暫定税率復活が衆院で再可決され、有権者の関心が高まった瞬間を選ぶ判断もあったはずだ。
(中略)私は、与党が大勝した3年前の郵政総選挙と、野党が過半数を占めた昨年の参院選という『相反する2つの民意のぶつかり合いが現在の国会の姿』と書き、前に進まないのであれば直近の民意を問えと求めた。
(段落)東京・秋葉原で起きた無差別殺傷事件は『このままでは、この国は破滅しかねない』という社会の悲鳴に聞こえる。
解決すべき政策課題は跡を絶たない。
『緊張感のない国会』との対照を思い、あらためて指摘したい。
(段落)もはや衆院を解散し、有権者の声を聞くことからしか、すべては始まらない。」
日経、朝日、読売の社説を比較したが、西日本が一番私にぴったりでした。
中央公論7月号、「日本没落の理由」堺屋太一より;
「国家コンセプトは失われました。
そして、政党も省庁も、政治かも官僚も、それに変わるコンセプトが出せず、それぞれ別々なことを言っています。
そのために『何も決まらない』状態に陥っているのです。
(中略)いまの政治家は、『議員村』の住民になってしまっているのです。」
そして、2世議員の東京生まれ、育ち、暮らしの政治家としての限界、小選挙区制による専門性の後退、「政権よりも政局」という「小さな政治」、「支持よりも知名度」という批判を展開しています。
さらに、「『その地位につくことだけを目標とする人物を、その地位につけるな』と言います。
会社の社長になるのを人生の目標にしている人物を社長にすると、社長で居続けるための保身だけになり、企業の活力は失われます。
政治家も議員でいることだけが目的の人物はよろしくない。」さらに「選挙に当選するために政党に属し、選挙区に住民票を移すだけで、政党政治家としての政権合意も、地元への愛着もありません。
(中略)『自分の意見のない政治家』なのです。
(中略)こうして、平成の国会から、政策的経綸(けいりん;治国在民の方策)が消えました。
そして官僚から『こう動いてもらえれば』と頼まれると、『役所が所掌の業界に声をかけてくれる』ことを期待して、動くことにもなります。」
と、そして、「わが国の政治は、各省別の官僚共同体の利益と、それを代弁する『議員村』の住民にゆだねられています。
(中略)各省別官僚共同体を壊し、『考える政治家』『議員村に安住しない政治家』を育てることです。」
と結んでいます。
忘れないように頭に刻んでおくべき言葉です。
同じ号で、前原さんが与謝野さんと対談しています。
少し、ええ?と言う発言も、両者から。
私が長く属している会のメーリングリストに、首相問責に絡めて「地方自治法の一部改正」が通ってしまったことに、警鐘を鳴らす書き込みが。
声はいろいろと聞こえてきます。
状況は歴史で、一つの体制が民意から離れていき、それを民意へ戻すことができずに、大きな改革、維新、革命などにつながる状況のようにも私には思われます。
そんな今、やらねばならないことは?堺屋サンの言葉を使うと、自ら「考える政治家」「議員村に安住しない政治家」を目指すこと。
そして、それを1人ではなく行うこと。
これは間違えなくやらねばならない。
あとは、大きな社会指針をつくること。
一つの社会は、簡潔な幾つかの言葉で秩序がつくられていく、生物のDNAのように。
その言葉が、戦後民主主義での言葉から、もっと、今にふさわしいものにしなければならないのでしょう。
これは、国の法律を作る訳ではないので、一地方議員でもやれる。
それから、法律制度が生み出されていく。