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バンガロー


部屋は、棟割りで2室が一緒になっているバンガローでした。といても、日本の山小屋バンガローではなく、いまの日本で言うと“離れ”というお洒落な感じのものでした。

外装は自然の石積み、内装は漆喰(プラスター)塗りのメキシコの香りプンプン。玄関前には椅子とテーブルが置いてあり、庭を楽しむことができるデッキがありました。

ベットには白い蚊帳がかかっていました。おっと、こんなベッドに、一人で寝るのがもったいない感じ、だったかな? まだ、独身で、初めての海外での、この離れ部屋。忘れられません。

これで初めての海外旅行のメキシコの記憶を終わります。

雑誌などでメキシコの記事を見ると本当にまた訪れてみたいと思います。でも、「アフリカの水を飲んだものはアフリカの戻る。」のような呪文がないからかな、まだ、一度も戻ってません。アフリカは2度も戻りましたが・・・。

マヤランドホテルのようなホテルはまだまだありそう。また、メキシコはスペイン植民地の香りが残る大きな邸宅風のホテルがあるようです。もし行くなら、今度はそんなところを狙ってみたいですね。


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玉井てるひろ 2012/09/17 00:18

マヤランドホテルの庭


宿泊する部屋はレセプションなどのある中心の建物から離れたバンガローでした。荷物を持って我々の部屋に行く途中、野生なのでしょうか、派手な色のオウムが庭の木に止まっていて、おお、トロピカル! で、しばらく行くとプール。なんというリゾート!

プールはこれから当たり前のように海外のホテルでは体験するのですが。ナイロビではプール付きのコンドミニアムに住んだのですが。何せ1980年、初めての海外ですので・・・。

ピラミッドのジャングルの中で、私のこころを小さな振幅ですが、強く揺すぶる情景がさまざまに準備されていました。


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玉井てるひろ 2012/08/29 23:17

バルコニーからギターが


マヤランドホテルのレストランです。

ホテルのラテンの香りにウキウキの私は、レストランに入ってもそのワクワクは続いてました。食事は、食欲旺盛な私にはとっても興味深く、美味しいものでした。豆料理のようなものが目新しかった、と記憶しています。

食べるのに夢中になりそうになっていたとき、天井の方からギターとあのメキシコの愛を囁く男の声の歌が・・・。うッと見上げると、屋内のレストランの壁に何とバルコニーが作ってあり、そこで、二人のギターを持った歌い手が音楽を奏でていました。

まいったな。大好きなメキシカン、それも少しロマンティックなヤツでした。この驚きは、忘れられません。一段とこのホテルの印象が強まりました。


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玉井てるひろ 2012/08/12 00:33

マヤランド・ホテル


チチェンイッツァでは、マヤランド・ホテルに滞在しました。初めて離れに客室がなっているホテルに泊まりました。で、そのホテルのデザインが、細部に渡るまで、メキシコの香りプンプンの、可愛い、お洒落なもので、気が付くと、エクタクローム36枚撮り、5本近くシャッターを押してしまいました。(火事で大半喪失)

まずは、なんといっても、カラコルの見える玄関ホールです。チェックインの間の待ち時間がとっても優雅に流れました。もちろん、みんなカラコルに視線は釘付け。たわいない会話をしながら、じっとじっと見つめていました。

さらに、この玄関ホールを取り囲むように階段と廊下が回り込んでいます。素敵な空間構成です。おかげで、私が、唯一、デザインした自宅の居間は吹き抜けし、回り階段を付けました。スペイン風の蹴揚のタイル、手摺り、なんとも言えません。初めての海外旅行で見たこのしつらえ。以後、何度も同じようなデザインのホテルに泊まったのですが、このマヤランドホテルの印象は強烈でした。


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玉井てるひろ 2012/05/10 00:20

ホテルと遺跡


ホテルは新旧遺跡の超ど真ん中にあるような、遺跡と一体となった配置でした。

最初の写真が、その当時、やっとホテルの壁で見つけた地図です。

右の下の方の一番良く分かる暖色グレーで塗ってある所が新遺跡の部分です。上の方に球技場、ピラミッドがあって、戦士の神殿です。その左の寒色グレーのところがホテルだったと思います。

あとは、すべて旧パートです。その広がり、分かりますよね。

次のスライドは、ホテルから遺跡へ向かっている写真です。こんな感じで新遺跡の方に歩いて行きました。

以上でチチェンイッツァ遺跡の紹介終わります。またいずれ見直して修正すると思いますが、今日の所はこれまで。しかし、昨日のスライドの取り込みから、今日まで、ほとんど一日かかった感じがします。

次はマヤランドホテル、それから、カンクーンなどを書こうと思っているのですが、いつになるやら。忙しくなるのでしばらくまた置きっぱなしになりそうです。メキシコだけでも仕上げたいとは思っています。よろしく。


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玉井てるひろ 2011/08/18 13:57

旧パートの2つの名前が付いた遺跡


旧パートの2つの名前が付いた遺跡の紹介です。

初めのが、「高僧の墳墓」。次のが、「鹿の家」です。スライドにそう記録している以外、資料焼失のため分かりません。

「鹿の家」の方は、新パートの球技場にあった構造物に近いですね。

「高僧の墳墓」はほとんど瓦礫。強者どもが夢のあと、なのか、「国破れて山河在り 城春にして草木深し」なのか、とにかく歴史、というか、無常を感じさせるモノでした。

ここのピラミッドのあと、88年にエジプトに行きました。その時、アスワンから、スーダン国境近くのアブシンベル神殿へ行ったとき、砂漠のまっただ中を走る一本の道の両側に、ピラミッドの瓦礫ではないかと思われる塊を幾つも見ました。その時に初めて湖に見える蜃気楼も見ました。遺跡をめぐる旅の忘れられない光景の一つです。

歴史が名所になる根源を感じたチチェン・イツァでした。


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玉井てるひろ 2011/08/18 13:07

ほかの気になったレリーフ2つ


他の気になったレリーフを2つだけ紹介します。

一つは、「ツォンパントリ」とスライドに書いています。ドクロですね。

以下、http://cocoguru.fc2web.com/sub3m6.htmlより引用;「チチェン・イツァはユカタン半島北部に位置する大遺跡である。河川ができない石灰岩質のユカタン半島においてはセノーテと言われる泉が人々の暮らしに不可欠だったが、チチェン・イツァには2つのセノーテがある。チチェン・イツァという名前自体が「イツァ家の泉のほとり」という意味があるそうだ。
このチチェン・イツァは、6世紀から7世紀に栄えた旧チチェンと、10世紀になってメキシコ高原のトルテカ族が流入してから、その影響を受けて栄えた新チチェンとからなっている。
マヤの伝説では、987年、西から来た偉大な王ククルカン(羽毛のある蛇)がイツァ家とともに国を治めたとされ、他方、メキシコ高原の伝説ではトルテカ文明の黄金期を築いたケツァルコアトル(羽毛のある蛇)が、968年、政敵に破れトゥーラを離れ、東(マヤの地)に去ったとされる。この王は神と同じ名前を持ち、神と同一視されていたらしい。
この年代の近さからしても、これらの伝説が何らかの歴史的事実を反映したものであるのは間違いないのだろう。しかし、チチェン・イツァに影響を「与えた」とされるトルテカのトゥーラの遺跡より、このチチェン・イツァの遺跡の方がはるかに立派で格調があるのはなぜなのだろう。」
さらに、
「球戯場のそばに、ツォンパントリというT字型の基壇がある。
ツォンパントリというのは「頭蓋骨の棚」という恐ろしい意味。
生贄の頭蓋骨に穴を開けて棒を通して並べたとか・・・。
この基壇には頭蓋骨がびっしりと彫られているのだけれど、この上に果たして本当の頭蓋骨が並べられたのか・・・。
ククルカンというのは人間を生贄にすることに反対した神ということなのだけれど、どうなっているのか。」

「ツォンパントリというのは『頭蓋骨の棚』」ですか。生け贄儀式の副産物ですね。この引用では、新遺跡パートにかかれていますが、私のスライドは旧遺跡パートでした。

あと、もう一つのスライドは、名前など分かりません、わたしは「可愛い人」とスライドには書いています。なんでしょうかね。サンタクロースか、大黒さんのようでもあります。このような謎も、遺跡のもたらす魅力です。


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玉井てるひろ 2011/08/18 12:51

鼻のレリーフ「雨神チャック」


「鼻のレリーフ」がそこかしこにあり、とても気になります。尼僧院では明らかにこの人が主役です。

もちろん、新遺跡パートのもあるのですが。2枚目は、戦士の神殿からジャングルに向かう所にある、「鼻のレリーフ」です。

以下、http://cocoguru.fc2web.com/sub3m6.htmlより引用;「尼僧院を正面から見たところ。
建造物は、雨神チャックで埋め尽くされている。
建造物の右端を見ると、チャックの長い鼻が残っているのがわかる。
入口の上には、マヤ文字が綺麗に残っている。」

この記述から、「鼻のレリーフ」は「雨神チャック」と呼んでいいようですね。マヤ文字も書かれているのですね。よく見なければ。


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玉井てるひろ 2011/08/18 12:41

尼僧院


まずは尼僧院です。

最初の写真の通り、尼僧院はカラコルから途中にあるジャングルを抜けて出てきます。ウィキペディアには何も書かれていませんでした。

次の写真のように、あの鼻の長い顔のレリーフが角に、壁に付いている独立した小規模の建物が複数ありました。

アンコールワットは有名な遺跡でまだ行っていない所の一つです。建築科の学生だったころ、建築史の講義で当時、ユネスコのプロジェクトで調査に行ったときのアンコールワットとその周辺ジャングルにあるという、アンコール・トムのスライドを見たことがあります。ワットは整然とした美しさでしたが、トムは、とても、おどろおどろしい、どろどろした印象の、胸騒ぎがしたスライドでした。とにかく行ってみたい。数年前からあるグループで計画していたのですが実現していません。

この尼僧院から旧遺跡パートは勝手な想像ですが、アンコールトムみたいな感じではないかと思います。建物が自然の中で、自然から征服されようとしている。その“今”が見ることができました。21世紀の今などうなっているかな?





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玉井てるひろ 2011/08/18 12:28

カラコル


さあ次は、古い遺跡パートの方に入ります。

まずは、カラコル(天文台)です。これはホテルの玄関からキレイに見える。ロビーから見ると、借景となっています。ホテル紹介でお見せします。

ウィキペディア引用;「太陽暦の1年をマヤ人は365.2420日と計算していた。現代天文学がコンピュータで計算した1年は365.2422日。天体望遠鏡もないマヤ人はほとんど誤差なく暦を知っていた。カタツムリ型の天文台から何年もかけて肉眼で観測した。これもすべて農耕や戦争の為である。
この天文台は約9mの岩の上に建てられ、高さは約13メートル。中心部に螺旋階段が作られており、ドーム部には縦に細長い窓の作られた厚い壁で構築されている。なお、この窓は天体観測における重要な照準線になっており、西側は春分の日の日没、月が最北端に沈むときの方向2つを確認することができる。」

かなりの科学が存在していたのですね。外部の写真と、光が入っているのが分かる内部の写真です。


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玉井てるひろ 2011/08/18 12:20

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